2008年当時は、御堂の裏手にあった水路の発掘調査が行われていて、見学会はこの水路についての説明がメインでした。この水路は、池に水を引き入れるために作られたものらしく、水路の中から、屋根を葺いていた杉の皮や漆器の破片などが見つかりました。
▲少し下がったところの地表が、永福寺創建当時の地面。御堂の裏なので、頼朝や実朝が実際にココを歩いた可能性は低いけど、彼らと同じ時代に生きた人たちが、この上を行き来していたんですね!
▲永福寺は焼失したため、発掘された遺物のほとんどが瓦だったとか。
▲漆と弁柄の色彩が鮮やかに残っている漆器の破片。水路の中に埋まっていた。