鎌倉に引っ越してきて間もなくの頃、由比ガ浜通りにある古書店で『鎌倉大観』(佐藤善治郎 著)という書籍を購入しました。明治三十五年初版の鎌倉の観光ガイドブックです!
鎌倉の名所旧跡が紹介されています。
さまざまな場所や建造物が、歴史の流れの中にどのように登場してくるのか? どんな人物がかかわっているのか? また、発刊当時の鎌倉の様子や風俗がわかる興味深い一冊です。
この『鎌倉大観』についている地図を眺めていたら、面白いものを見つけました!
地図の左下、由比ヶ浜の滑川河口の少し沖に、“鳥居跡” という表記があります。
『鎌倉大観』の本文中にも、
沙丘の間を通って滑川の口に出ると一望開豁(いちぼうかいかつ)、滑川の口が蛇行して海に注ぐ。昔は若宮小路の正面の海中に猶一つの鳥居が海中にあった。
と、あります。
室町時代の僧侶、道興が関東を廻りつづった紀行文『廻国雑記』(文明十八年/1486年)の中に、由比ヶ浜を訪れた記述があり、
朽ち残る鳥居の柱顕れて由比が浜辺に立てる白波
という歌を残しているそうです。
“海の中の鳥居” というのにひかれて、ちょこっと調べてみたのですが、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』のなかには、そのような鳥居についての記述はないようでした。
時代が下って、江戸時代に水戸光圀(黄門さま!)の命によって、鎌倉の地誌が調査され『新編鎌倉志』(貞享二年/1685年)が編纂されたのですが、この中にも “海の中の鳥居” は出てこないのです。
まとめると………
▲鎌倉時代→記録なし
◎室町時代→道興が “朽ち果てた鳥居” を見る
▲江戸時代→鎌倉を調査した地誌の中に、記述なし
◎明治時代→鳥居跡が地図に!
と、いうことに!!
鎌倉は時代によって、栄枯盛衰の激しい所でした。栄えた時代に “海の中の鳥居” が作られ、激しい戦乱の後、取り残された時代に跡形もなくなってしまっても、ちっとも不思議じゃありません。
あったの? なかったの? というより、あったらいいのにっ! というのが正直な気持ちなんです。天気の良い日の由比ヶ浜に立って、海岸をそぞろ歩く人たちや波間に浮かぶサーファー達を眺めていると、想像というより妄想が膨らみますー。
『鎌倉大観』は旧字が使われてたりするし、『新編鎌倉志』は漢文体だし、読むのが難しいのです。でも、かなり興味深いことがたくさん載っているんですね。現在の鎌倉と照らし合わせると面白いので、ぽつぽつとご紹介していきたいと思っています。