大仏切通(だいぶつ きりどおし)は、鎌倉七口の一つに数えられていますが、いつ頃からあってどのように使われていたのか、よくわかっていない道です。
江戸時代に編纂された『新編鎌倉志』に、
大佛の西の方なり。此切通を越れば、常磐の里へ出るなり……
という記述があって、江戸時代には生活道路として使われていた道だったようです。
自然にできた道筋ではなく、人工的に開削された道筋なのですが、いつ切り開かれたのかははっきりとした記録が残っていません。朝比奈切通や巨福呂坂が整備されたのと同じぐらいの時期、13世紀中頃に作られた切通と考えられています。
かなり険しい山道だったのを、明治時代の初めに大規模な工事を行って改良しました。そのときには、石畳が敷かれ、人力車がすれ違えるほどの道幅になっていたそうです!
その後、明治40年頃に現在の大仏トンネルの元となる “素掘りの隧道” が掘られたそうですから、その頃から大仏切通の方は、通る人も少なくなっていったのでしょう。長く放置される間に、崖が崩落したり、土砂で道が埋まったりして、現在のような野趣あふれる景観が出現したんですね。
大仏切通を歩くなら、火の見下バス停近くの路地から入って行くルートをお勧めします!
バス通りから、細い路地を入ります。少し前まで、この路地がすごくわかりにくかったのですが、現在はちゃんと標識があるので安心。
ここを入ったら道なりに進みます。民家の間の細い道を進んで行くと、突如として森の中に入ります!
切通そのものは0.5kmちょっとの距離ですが、高低差があり苔むした岩があったりするので、ハイキングというより、トレッキングぐらいの気持ちでいきましょう。
大仏切通を歩くなら、梅雨入り前のこの季節がいちばんと思います。緑の薫り濃く、ウグイスが競い合って鳴く声が響き渡ります。バス通りに沿う道ですが、高低差のせいか、樹木が茂っているせいか、クルマの音はほとんど聞こえませんでした。
鎌倉時代、江戸時代には、細く険しい山道を荷物を担いだ人々が行き来し、明治の頃には人力車に乗った人たちが行き交った道。歴史の中を生き残ってきた道筋が、今は草木に厚く覆われて、静かな道になっています。
名前は知られた切通ですが、行き交う人はわずか…。歩いていると、ふと現実感がなくなるような不思議な場所です。
JR鎌倉駅から火の見下バス停までは、由比ガ浜通りが渋滞してなければ、だいたい15分ぐらい。大仏切通を歩いて、大仏さまのいる高徳院をお参りして、それから長谷を散策っていうコース、なかなか変化があっていいと思います! 足元は山道歩けるクツで!!
で……ちょっと欲張るなら、鎌倉駅西口の市役所前からバスに乗り、梶原口バス停までいって、Pompon cakes blvd. でケーキを食べ、それから梶原口バス停と火の見下バス停は近いので、そのまま歩いて大仏切通に行ってみるってのも! 鎌倉の街中でのバス移動は、休日だと渋滞したりして思ったようにならないこともあるんですが、西口から梶原方面に行く道は渋滞ほとんどありませんし……。