やっと暖かい日が続くようになった鎌倉。金沢街道沿い、浄妙寺の境内で梅が咲きそろいました
南に向かって開けた境内に陽射しがあふれて、白梅の花弁が輝いていました。
本堂に参拝して振り向くと、総門の向こうに望む衣張山に、うっすらと春霞。松の緑と梅の花、まだ芽吹きの見えない木々が折り重なって山奥を訪ねたような景色です。
ちょっと早めの時刻に入山したのですが、午前中は固く閉じていたつぼみが陽射しを受けてだんだんと開いてく……じーっと見てたワケじゃないんですが、1周りして戻ってくると確実に花が開いているのがわかります
浄妙寺は鎌倉五山の第五位、足利家との縁が深く室町時代に栄えたお寺です。最盛期には広大な寺領を持ち、現在でも『浄明寺』(地名のときは “妙” ではなく “明” を当てている)という地名がこの一帯で使われています。最寄りバス停の名前も浄明寺です!
ここには、鎌倉の地名の由来となった飛鳥時代にさかのぼる伝説が残されています。浄妙寺の境内には、鎌足稲荷神社という小さな祠があります。そこにあった案内板に、その伝説が記されていました。
〈鎌足稲荷神社 由緒より〉
大織冠藤原鎌足公は乳児の時、稲荷大神さまから鎌を授けられ、以来、常にお護りとして身につけ、大神さまのご加護を得られました。大化元年(645)、中大兄の皇子(後の天智天皇)らとの協力のもと蘇我入鹿を討って大願を成就された鎌足公は、翌大化2年(646)東国に向かわれ、相模国由井の里に宿泊されました。その夜、「あなたに鎌を授けて守護してきたが、今や入鹿討伐という宿願をなし遂げたから、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」との神告があり、お告げのままに鎌を埋納し、祠を営んでお祀りしたのが、当神社の始まりです。鎌倉の地名は、鎌足公が鎌を埋納したことによるとされています。
街の喧騒から離れた静かな境内。ここから見る衣張山や周囲の山の佇まいは、この場所が鎌倉と呼ばれるようになった頃、そして、鎌倉が歴史の中心となった頃の面影を保っています。
梅の香り、春の陽射し 鎌倉らしい明るい光の中で梅の花が楽しめます。
ホーホケキョとウグイスの声も聞こえてきますよ。
木々の枝をチロチロと忙しそうに飛び回っているのはメジロたち。
蜜をすうのに夢中で、かなり近くの枝までやってきます。その可愛らしい様子に見とれていると、遠くからホーホケキョ! と見事なウグイスの声が響いてきました まだ春の初めなのにほぼ完璧な歌声です、レベル高し!!
浄妙寺境内には、ランチスポットとして人気の「石窯ガーデンテラス」やお抹茶がいただける「喜泉庵」があります。