※2022年は、お神輿の巡航は行われません。(2022年6月追記)
7月11日、真夏の太陽が照らす晴天の日、大町の八雲神社で例大祭が行われました。
八雲神社は、鎌倉でいちばん古い厄除神社。鎌倉幕府ができる前からある神社です。
寛治元年(1087年)、後三年の役で新羅三郎義光(源頼朝の高祖父の弟)は、兄である八幡太郎義家(源頼朝の高祖父)を加勢するために奥州(東北地方)に向かいます。その途中で鎌倉に入り、疫病で人々が苦しんでいる事を知ることとなります。このとき、新羅三郎義光が京都祇園社の御祭神を勧請し、疫病退散を祈願したのが八雲神社の始まりと言われています。
八雲神社例大祭の御神輿は、まず昼間の “お渡り” で大町の街中を巡ります。
お渡りで御神輿を担ぐのは、白丁烏帽子姿の男性たち。よくある “威勢のいい御神輿” とは異なる独特の雰囲気があります。
どことなく哀愁を感じさせる節回しの「天王唄」を唄い、「ヨイサ、ヨイサ」のかけ声で担ぐのですが、このかけ声もやや控えめでなかなかに上品な風情で進んで行くのです。「神様がみんなのところに出向いてくださってるんだなぁ」と、親しみと同時に神々しさを感じます。
担ぎ手の白い衣装が夏の陽射しを照り返して、御神輿が浮かび上がるように見え、谷戸の緑に良く映えていました。
“お渡り” を終えて御神輿が八雲神社に戻ると、1時間ほどおいて今度は、はんてん姿の担ぎ手たちが集まってきます。昼間の “お渡り” で担いでいた方々も、ほとんどのみなさん着替えて登場!
女性の担ぎ手もチラホラといて、華やいだ雰囲気。日が傾くに従って、境内にエネルギーが満ちていきます。
夕闇迫る午後7時、御神輿に取り付けられた提灯に灯がともされ、“神輿ぶり” が始まります。
境内を出ると、ガガっとギアが上がって、「ヨイサ、ヨイサ」のかけ声も威勢よく大きくなっていきます!
御神輿が横一列にぴたりと並ぶ “四社付け” と呼ばれる隊形を組むと、道路の幅がぐんと広がって見えるような迫力。「天王唄」の声も高く艶やかに響き渡っていました。
参加する人にも、観る人にも『悪疫退散招福繁昌』を約束してくれるというお祭りです。
帰り道、清々しい熱気が身体の中に残っているように感じました。
鎌倉 祇園大町まつり⇒http://www.kamakura-omachi.jp/
八雲神社は地元の人に「八雲さん」とか「お天王さん」と呼ばれて親しまれています。徒歩のとき、クルマ通りの多い説法道(せっぽうみち)を避けて、八雲神社の前の細い道を使う人も多くて、鳥居の前を過ぎる時に足を止め、お社に一礼する姿も良く見かけます。
大町まつりの御神輿担ぎは、大町に住んでいなくても参加できます。この日も、初めて担ぐ人や海外から来た人なんかもいたんですが、みんな真剣に楽しんでいましたよ。“神輿ぶり” が終わった後には、境内で升酒が振る舞われたり、近くで打ち上げの会が行われたりしていました。お祭りも楽しいけど、祭りの後も楽しい!
大町祭りが’終わると、鎌倉に本格的な夏が来ます。